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今度読もうと思う本 -『シカゴ育ち』 [日常]

ネットで専門書を注文する際、ついでになかなか機会のなかった本を1~2冊頼む。
手元にある須賀敦子さんの『本に読まれて』をもとに、何冊か頼もうかと思っている。
『本に読まれて』自体が古く1998年出版なので、そこに紹介されている物は絶版が多い。でも何冊か手に入りそうな本がある。嬉しい。

佐野英二郎さんの『バスラ―の白い空から』もそうだし、ダイベックの『シカゴ育ち』も同じ。

『シカゴ育ち』に惹かれたのは、須賀さんが引用されていた次の文を読んだから。

「雪の降る晩、ロシア文学の先生をアパートに訪ねていく学生がいる。黒海に面したオデッサ生まれのその先生は、世界を渡り歩いたあげく、いまは、アメリカ大学で教えている。先生の部屋の壁にはオデッサの市街地が鋲でとめてあって、ところどころに赤インクで丸がついている。おいしいパン屋の印さ、と先生はいう。フェアウェル(さよなら)ではなくて、ファーウェルという、シカゴのある区域に住んでいた先生は、一年その大学で教えたあと、またどこかに行ってしまった」

昨今の言語教育の世界から言うと、評価されるタイプの先生ではないかもしれない。
流れていく人。1~2年で消えていく。
先生は最後、「どこか」に行く。どこに行くかは学生にもわからない。
(もちろんこの先生の場合、時代というものが背景にはあったと思うが)

シカゴやアメリカの地図ではなくオデッサの地図を貼り、しかも「パン屋」の印をつける先生。
しっかり根を張り、あるいは<外の人間>であることを意識し、自分に何ができるかを模索し、またできないことを明確に意識しようとするのが、やはり海外在住の望ましき言語教師のようにとらえられる中で、こういう根っこのない感じの先生は、まあ、モデル的な言語教師ではない、と言えるかもしれない。
あくまでこれを読んだ限りにおいて言うと、どう考えても現地の人と積極的に交わっていたとも思えないし、学生に進んで近づいていくタイプでもないような気がする。

でも、どうしてか、学生がこういう教師にとても惹かれるというのもわかる気がする。

教育現場はやはり社会で人を再生産していく役割も担っているので、やはり息苦しさや堅苦しさも強いわけですよ。
この「ロシア文学の先生」の場合はちょっと極端な例としても(くどいようだが時代的背景もあるだろう)、そういう時に、自国の規範や制度からある程度自由な存在としての「外国人教師」に惹かれる、というのはわかるような気がする。

外国人教師としてどこかの国で教える場合、もちろんその国の文化や背景を尊重することは必要だろう。
同僚たちに尊敬の念を抱くことも大切だ。
でも、息苦しい状態にいる成長期の生徒に接する時、どこか「外から来た人の新しさ・自由さ」を感じさせる存在としての魅力はあるんじゃないかなあ…

今度読みたい本、『シカゴ育ち』。
いつ手に入るかな。


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