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北京到着 [日常]

25日木曜日、北京に到着しました。

ヨーロッパ(それも直行便がない国!)に慣れた身体には、時差も少なく、飛行機に乗っている時間も短く、したがって殆ど疲れることもなく、あれよあれよという間に北京に着いてしまい、何だかとても不思議な感じがしました。

実は北京は全く初めて。
大都会に適応できるかと不安でしたが、今のところ何とか大丈夫そうです。(あ、でも物価は思った以上に高いですねえ)
高層ビルが立ち並ぶオフィス街、高給ブランドショップがZらりと並ぶ地下街、外国人向けの高級スーパーやセブンイレブン。
一方で売り子さんがガンガン話しかけてくるおみやげセンターや、素朴な雰囲気の裏道、そしてもちろん三輪車と、いろんな顔のある街のようです。大使館が並ぶ区画も緑豊かで静かで、とてもいい雰囲気。

到着して次の日は朝から出勤。
土曜日は家さがしとさっそく研修(!)、日曜日はまるまるオフだったので、とりあえずスーパーを探して街をぐるぐるっと歩き、ついでに公園で散歩したりもしてみました。

まだまだ北京料理がよくわからず、三日で二回も四川料理の食堂に入り、懐かしの四川語の中でご飯を食べていました。
お店の人には二日目には早くも顔を覚えられ、
「あら、中国語がわかるのねえ(サバイバルレベルなんですが・・・)。いいわねえ」
というおばちゃんに、これまた懐かしの成都の日々を思い出しました。
早く北京ご飯の種類も覚えよう。

そんな感じに元気に過ごしています。

そういえば、ロシア語がやたら氾濫している不思議な一角を発見・・・。
ロシア・東欧チームの皆さん、北京はいかがですか???
ロシア語わかればまずは生きていけそうですよ~。



二か月やすむ [いろんなことから考える]

ブダペストから北京まで、ちょうど二か月のお休みでした。
報告書を書いたり出張したりはあったけど、二か月もの特別な時間!!! です。

最近は日本にいる機会も少なくなってきたので、ある程度まとまった期間いる場合、何か新しいことを始めてみたいという気持ちになることが多くありました。

前回の一時帰国の時は、OPIの勉強をしていました。

その前はもう少し長い時間の滞在だったので、仕事しながら着付け教室に行っていました。

今回は・・・ ここぞとばかり病院に行ったり、買い物したり、久々に人と会ったり(会えなかった人も多かったなあ)、それだけであっという間に終わってしまいました。
やっぱり、「これから新しい場所に行く」時は、なかなか落ち着かない感じが強いものです。

今回得た感覚で一番大きなものは、「所属がない」という立場です。
もちろん、北京に行くことは最初から決まっていたので、本当に無所属というのとは違うはず。
でも、日々がむしゃらに走っていた時には見えなかったことや、ともすれば視点が狭くなってしまったこと、意識に澱のようなものがかかってしまったようなこと。そういうことがたくさんありました。
一度全部をリセットし、忘れそうになっていた感覚や視点を取り戻す。
そういう感じの二か月でした。

また、いろんな立場の人と久々にお会いすることで(当たり前だけど、日本には本当にいろんな立場や視点の日本の人がいる!!!)、頭も気持ちもちょっとずつゆっくり、柔らかくなったような気がします。

本当はそういう形で時々「視点を取り戻す」のは、とても大切なことなんですよね。
埋没して見えなくなってしまうのは本当に怖いので、意識して取り戻すようにしないといけないなあ。

具体的に「何かをした」ということは少ないけれど、やはり大切だった時間。
では、行ってきます。



北京へ [活動]

ブダペストから帰ってちょうど二か月。
8月25日(木)に北京に赴任します。

中国は、2005年から2007年まで四川省の成都に滞在していましたが、北京は全く初めて。
緊張と楽しみと。何があるでしょう?

さ、荷造りしようっと。



大久野島へ [旅]

日帰りで、瀬戸内海の大久野島へ。
戦争中、日本軍の毒ガス工場が建設され、「地図から消された島」とも言われている場所です。
実際、中国でも使われている毒ガス。
これからアジアに戻るにあたって、やはり見ておかなければいけないような気がして行ってきました。

島には、戦跡がたくさん。
これは変電所跡。

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毒ガス工場は内部撮影禁止。
製造中に被害にあった人や、実際使われた時の様子、戦後各地に破棄された資料を見るにつけ、本当にはよく知らないんだなあ。。。と、改めて痛感。同じ広島でこういうことが行われていたわけです。
何と言うか、胸の痛くなるような展示でした。

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その大久野島は、瀬戸内海の小島。忠海港から船で行きます。
(そうそう、瀬戸内にいると、「船で学校に行きます」という例文もそんなに違和感ないですよねえ)
改めて、海があって島があって、瀬戸内海って本当にきれい。
こういう島が、戦時中兵器を作る島になっていたということが、やはり苦しい。

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もうひとつ、大久野島は最近は「うさぎ島」として有名。
野生化したうさぎが、あっちにもこっちにも。
うさぎって、こんなに自由に生きるものなんですねえ。
車やペットの立ち入りも制限されるという徹底ぶりで、まさにうさぎ天国。
休暇村もあって、車の殆ど走らない中海で遊んだり、うさぎに囲まれながらキャンプしたり。
何だか別世界。
写真は、海を見つめるうさぎです。

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戦跡はきちんと見られなかったので、またいつか行ければと思っています。
・・・ただ、一方で、やはり行くのが苦しいような場所です。



枠のこと [いろんなことから考える]

ハンガリー報告会」の記録をつけていて、ふと思ったこと。
これって、どのカテゴリーに入れるべきかなあ、と。

内容としては、それまでの教師研修とも重複するので、「教師研修と、その周辺」に入れるという方法もあるのでしょうが、自分の意識がまず違う。
先輩先生方にお会いして、「こんなことやってましたよ~」とか、「もしちょっとでも興味を持っていただけるなら・・・」という、ご報告がしたいという感じ。
(来られた方も「お久しぶり!」という感じだったと思う)

とりあえず「活動」に入れたわけですが、適当な枠がないことに遅まきながら気付かされました。

専門ブログに切り替えたのが2011年の冬。任期も残りあと半年という頃。
更にその頃は、2年半かけてやってきたことの成果を何らかの形で還元できないかと試行錯誤していたので、ちょうど研修や勉強会に意識の焦点が当たっていた時期でした。

なるほどね、枠って、本当にその時期の自分が何を重視していたかを反映しているのね。

さて、これから自分はどんな枠をつくっていくんだろう。




ハンガリーの風景 [ハンガリー]

ハンガリー報告会」の中で少しご紹介した、ハンガリーからの景色を一部。

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くさり橋。橋の向こうはブダ地区、手前はペスト地区。

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国会議事堂。

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大好きな路地。これはブダ側。マルギット橋近く。

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「ドナウの真珠」と言われる美しい夜景。

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英雄広場。

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お土産の人形たち。藍染めの服を着ています。

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以前、日常ブログでもご紹介した、ハンガリー民芸祭りでの光景。

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レトロ車ファンにはたまらない街。

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社会主義時代の彫像を集めた公園。



ハンガリー報告会から [活動]

広島で働いていた日本語学校の先生が、帰国報告会を企画してくださいました。
感謝感謝です。

かるーい内容でいいと言われてはいたのですが、「個人的にはCEFRとポートフォリオ実践について聞きたい」とのこと。
先生、そりゃ、軽くなりませんよ。

というわけで、ハンガリー事情に加え、業務についてお話することとなりました。

聞いてくださった方の中には、私が10年前に新人だった時に既にベテランだった方や、そもそも私を指導してくださった方がたくさん。
なので非常に緊張した半面、懐かしい方にお会いできて、改めて意見交換もできて、とても貴重な時間となりました。

もうひとつ貴重だったのは、日本のように、日本語教育が<実践>と結びついている場でヨーロッパをお話することの意義です。

ハンガリーでいつも前提として議論されていたのは、
「日本語は生活に密着していない」
「だから、実利的目標を掲げると、しばしばウソくさくなる」(もちろん目標のある人もいます!!!)
「知らない文化や価値観、新しい文法体系を知る喜びを、言語<技能の習熟>以上にもっと重視してもいいんじゃないか」
「趣味だからといって、目標設定を下げるのはどうか」、逆に、「趣味だからこそどこまでものぼっていける可能性はないのか」
といったこと。

そういった議論の中で、教材のように形あるものを形成したり、モデルクラスの方向性を打ち出していくためには、何かの方針を出さなければならない。

そして、出してみた方針、結論。
言語技能だけを目的として設定していないからこそ、だからこそ異文化理解と並行して、言語知識も丁寧に扱ってみる。
(具体的に言えば、文字もばっちりやってみる! )

CEFRの「実存的能力」というか、発見したり、深めたり、驚いたり、考えたり、ふりかえったり、がんばったり、がんばれた自分に驚いたり、といったこと。
そういうことを取り入れていく。人を豊かにするための仕掛けとして。

もちろんその方針を出した前提には、「4年にわたる学習を前提とした総合教科書のモデルクラス」という性質もあったからだけど、でも、仮に、以前からあった四技能を総合的に扱うコースと見えたとしても、そこへ至る方向性には、「豊かさ」という部分と、そこへ至るための揺るぎなさのようなものは持っておきたい。そして、提供するための、丁寧なノウハウもちゃんと持っておきたい。

そんなことを考えていたのですが、日本やアジアのように、日本語が実用と結びついている地域では、きっと違う発想が必要。
その中でお話して、私自身もあらためて、自分自身にとって当たり前のようになっていたことを再度ふりかえる機会にもなりました。
そしてまた、「日本語が趣味」「日本語は異文化理解」ということの意義や、そこから生まれるラディカルさみたいなものは、もうちょっと取り上げられてもいいんじゃないかなと、改めて思ったりもしていました。

報告会後、そして食事の場でも議論ができたこと、感謝します。
ありがとうございました。



さがしてる [語学学習]

最近、探しているもの。ハンガリー語のWeb教材。初級中期以上向け。

ハンガリー語をそんなに上達させる必要は、多分ない。
facebookなどで昔の受講生の近況が何となくわかって、コメントできたらいいかなあと思うぐらい。
そのコメントも、「よかったね」とか、「気をつけて」とか、「おいしかった?」程度。
必要なメッセージのやりとりは日本語や英語で行われるはずなので、エッセンス的な楽しみというか。

辞書を引きつつなら何となくできなくはないけれど、とてつもなく時間がかかる。
自分の発するコメントは「おいしかった?」レベルでもいいとして、少なくとも彼らの記す徒然が、もうちょっとすらっと読めたら楽しいなあ。
今すぐに開始するのは、状況的に多分無理。でも、どういう手段を使えば勉強できるとか、何となく知っておきたい。

で、思い出した。
以前一緒にお食事したハンガリー語の先生が言われていたこと。「ハンガリー語教育は外国に住むハンガリー系子弟のための継承語教育に力を入れている」と。
その先生も、アメリカで実際に指導に当たっていらしたそうです。

そうかー、その視点で開発されているものもあるかもしれないね。
継承語としてのハンガリー語。なるほど。
英語などで行われていたら、少し敷居が低そう。

そして、改めて思ったこと。
自分自身も日本語教育関係者として、こういう情報や方法はちゃんと持っておく必要はあるな、と。改めて。
日本を離れても卒業しても、日本語とは関係のない仕事についたとしても、もし学習を続けたければその機会は開かれているよ、と。

実利でない言語。
だからといって、やめることを前提としなくていい。だって楽しみ、だからこそ。
私の中でハンガリー語はもう、「思い出した時にのんびり生涯学習」、はたまた「老後の楽しみ(笑)」と位置づけられたりしているのですが。

さて、ちょっと探してみようっと。



単発講座「Webで学ぶ日本語」 [教室から]

さて、ハンガリー思い出し日記の続き。
帰国一週間前に、同僚が講師を担当して、単発講座「Webで学ぶ日本語クラス」が実施されました。
いわゆる「入門・体験クラス」以外にももうひとつ、何か単発の講座を実施して次につなげておきたかったので、何とか開講できたのは喜びでした。
日本語入門レベルの対象者のために、通訳の先生にも来ていただいたのですが、本当に丁寧に対処していただきました。ありがとうございました。

最近よく思うのは、自律学習は、教師側(あるいはデザイン側)が学習者の「学ぶ力」「吸収する力」を信じていなければいけないということです。
Web教材は、自律学習として活用することも可能。そしてもちろん、教師が関わったり、あるいはクラスとからめたりと、いかようにもやることは可能。
だけどいずれの場合も、教師側が「学習者が自分で学べること」を信じなければ、仮にクラスや指導とからめたとしても、けして有効なものにはならないはず。

ありそうですよね。
「Webの独学だけだとわかってないかどうか不安だから、ひとつひとつチェックしなくちゃ」
「だけどチェックするには項目が多すぎて、チェックしきれない。自分には扱いきれない」
「どうせ授業の中で扱えないなら、Web教材は紹介しないほうがいい」
とか。
これはまた、極端な例ですが。

Webをどう使っていくか。どのように、教師はWeb教材と関わっていけるか。
そういうことを、いつか考えてみたいと思っています。

関係者の皆様、ありがとうございました。



ハンガリーの中等教育における日本語教育 [教師研修と、その周辺]

さて、引越し前はバタバタで書けなかったハンガリーについての、いくつか思い出し日記。

帰国ちょうど一週間前(!)にハンガリーの職場で教師研修がありました。
テーマは「ハンガリーの中等教育機関における日本語教育」。私は直接の研修担当ではないのですが一枠いただくことができましした。

と今回のメインは、現地機関二校からの実践報告。
「クラブ活動としての日本語」「趣味や異文化理解に力を入れた日本語教育」でした。

一校からは、様々な実践報告を通じての、子どもたち、生徒たちの成長。
おりづるプロジェクト」や「原爆の子の絵本翻訳プロジェクト」、「被爆アオギリプロジェクト」など、核や平和を考える一連の活動。
それから、「ハンガリーの大鍋・ボグラーチで肉じゃがを作ってみよう」という楽しいピクニックの企画や、地元の高校生たちを集めての日本クラブ(クラブになると、プライベートレッスンとはまた違って、人と人が関わる意義が生まれると思います)、そして「日本の日」の企画。
更には、異文化理解を軸とした、一連の講義。
小学校、中等教育、大学、そして地域の日本ファン・言語ファンと、いろんな関係者が関わって何かをつくりあげていく豊かさ。
この機関には何回かお邪魔させていただいたことを懐かしく思い出します。

「おりづるプロジェクト」を通じて、ハンガリーの子どもたちが送ってくれた折り鶴。
あの子たちは、今きっと、地震や津波、そして原発事故のことを考えてくれているはず・・・と思います。(ウクライナの隣にあるハンガリーで、チェルノブイリはやはり他人事ではなかったでしょうし)

もう一校は、ブダペストの中等教育機関。やはり、クラブ活動として日本語を行っている機関において、年に何回か日本の方との交流実践を行っている、その報告でした。
一連の交流実践を単発的な活動に終わらせないようシリーズ化すること。まわりの人をまきこんでいくこと。そのことの大切さを報告から感じました。
更には、学習者と一緒に他の機関の「日本の日」にお邪魔したり、日本語力はまだまだの学習者たちが、スピーチコンテストの「パフォーマンス部門」に参加して歌を披露したりという経験が、「日本語は入門レベルだとしても、そこから得られるものは大きい」という、中等教育にとってとても大切なものにつながってくるのを感じました。
とても丁寧な発表だったので、そこで起こってくる様々な問題や「現実にできること・できないこと」をどう克服していったかという様子もよくわかり、きっと同じような企画を組む人にとって、とても参考になるのではないかなという内容でした。

ともすれば実践報告って、「うちの機関は状況が違う」「そのままでは使えない」と、気持ちを閉ざされてしまうことが多いのですが(本当はそれは研修のシカケ方が悪いんだけど)、こういう風に「現実にはこれはできないけど、その中で別の方法でやってみた」という報告を聞くと励まされますよね。
そこは大切な意識として、どんどん伝わっていけばいいなと思っています。

私自身は、ずっと作成してきたCEFR準拠教材で「異文化理解」をどう扱っているかということついての発表で、これはまたいつか、異文化開発チームによってどこかで報告が行われると思います。
そして、それと関連して、カラー写真満載の教科書が、異文化と考える力・発見する力をどのように養っていくかで、これは実際フィリピンの写真を使って実践してみました。

それにしても、現場っていいですね。
こんな風に自由に関わることができる現場で、日本語力の向上のみではなく、趣味や異文化理解や「人を育てる」仕事を人生の中でもう一度できないものかな。
というのが、新人の時、ドイツで同じような環境で一年試行錯誤した反省のもとに感じることです。

私は機関報告が有機的に組み込まれた研修会ががとても好きです。
横の関係や情報伝達が生まれること、「隣の機関ができたのだから自分たちも」という気持ちに(きっと)つながるからだと思います。

これからますます、ハンガリー、そして中東欧、そして全ての「クラブ活動としての日本語教育」が自信をもって、豊かな活動を広げていってくれますよう。



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