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あの日から2年 [いろんなことから考える]

今日は3月12日、もう13日に入りました。
東日本大震災から2年が過ぎました。

地震の時はハンガリーにいましたが、偶然3月12日から一週間ほど仕事で日本に帰ることが決まっており、混乱の中で飛行機に乗り、ブダペスト・経由地のウィーン・埼玉関西(滞在中に成田発着がキャンセルになったので関西に移動せざるを得なくなった)・そしてまた経由地のフランクフルト、そしてブダペストと、地震の中を転々とした一週間でした。
新幹線で関西に降りた時、「揺れない」「電気が明るい」と、ほっとすると同時に、「こんなに平和でいいんだろうか」という不思議な感覚を持ったことを覚えています。

その時の日記を久しぶりに読み返し、いろいろなことを思い出しました。

11日の朝、ハンガリーで出勤前に、ふと思い立って埼玉のとある場所に個人的な電話をかけようとしていたこと。
でも、それがどうしても通じず、おかしいな、と思ったこと。
そのままネットを見ると、確か津波警報が出ていたこと。当時は地震のニュースがよく流れていましたが、その時の警報は何だか見たこともないような記述になっていて、「そんな大変なものが」と薄気味悪く感じたこと。

そして職場に行って地震と津波のことを知ったこと。
同僚と映像を見ると、真っ黒い巨大な塊が建物を押し流していく様子が映り、本当にその意味がわからなくて、「あれ、何」と言ったこと。同僚の「波」という答えを聞いても、すぐには信じられなかった気持ち。

日本行きをキャンセルする航空会社もある中で、たまたま予約していた航空会社が飛行機を飛ばしたため、悩んだ末にそれに乗って帰りました。
12日の朝にヨーロッパを出発しましたが、その頃に既に現地の放送は原発一色に切り替わり、メルトダウンの第一報は経由地のウィーンで聞いたのだと記憶します。

11日に地震と津波の報道を聞いてから、13日の夜に日本に着いて横になるまで約48時間、全く眠ることがなかったと思います。


あれから、2年。
細々とネットで募金をしたり、現地のことを考えたりすることぐらいしかできていませんが、その課程で、更新がストップしたままの観光協会のホームページや、行われるはずだった2011年3月のイベント案内を見て、胸が痛くなったことがあります。

あの時、日本に帰ることにしたのが正しい選択だったのかどうか、未だに自分でもよくわかりません。もし今身近な人が同じ状況にいたら、止めているかもしれな。
ただ、短い一週間程度の間に、ヨーロッパと東京と関西と、いろいろなところでいろいろなことを感じ、見て、そしていろいろな人と一緒に泣いたことは忘れないでおこうと思っています。


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