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12月をふりかえって [活動]

しばらく通っていた中国語の早朝レッスンを11月末に終了。
購入したチケットがなくなったのと、学び方や環境が変わったのと、任期終了を控えて一区切りにしようと思ったのと、いろんな理由から。
寝不足状態が続いていたし、12月は週末も仕事や出張が多いので「12月は自分の勉強はやめよう!」「自分の勉強にあてていた時間はリラックスして過ごそう!」と決める。

が、実際ダラダラを始めると、どうもダメみたい。
なんか、調子が出ない。
限られた時間を細切れに活用して、論文の一本を読んだり、中国語の問題をやったり、そういう生活をしているほうが、結局他のこともできるようです…

なので、明日から始まる新年、やはり自分の勉強は日々少しずつでも続ける一年にしたいと思っています。まあ、これがなくなったら、専門職も終わりなのかも。。。

悩みは「睡眠不足にからきし弱い」ことなので、新しい年はこれも何とかしたいなあ。

よいお年を!

  


今度読もうと思う本 -『シカゴ育ち』 [日常]

ネットで専門書を注文する際、ついでになかなか機会のなかった本を1~2冊頼む。
手元にある須賀敦子さんの『本に読まれて』をもとに、何冊か頼もうかと思っている。
『本に読まれて』自体が古く1998年出版なので、そこに紹介されている物は絶版が多い。でも何冊か手に入りそうな本がある。嬉しい。

佐野英二郎さんの『バスラ―の白い空から』もそうだし、ダイベックの『シカゴ育ち』も同じ。

『シカゴ育ち』に惹かれたのは、須賀さんが引用されていた次の文を読んだから。

「雪の降る晩、ロシア文学の先生をアパートに訪ねていく学生がいる。黒海に面したオデッサ生まれのその先生は、世界を渡り歩いたあげく、いまは、アメリカの大学で教えている。先生の部屋の壁にはオデッサの市街地が鋲でとめてあって、ところどころに赤インクで丸がついている。おいしいパン屋の印さ、と先生はいう。フェアウェル(さよなら)ではなくて、ファーウェルという、シカゴのある区域に住んでいた先生は、一年その大学で教えたあと、またどこかに行ってしまった」

昨今の言語教育の世界から言うと、評価されるタイプの先生ではないかもしれない。
流れていく人。1~2年で消えていく。
先生は最後、「どこか」に行く。どこに行くかは学生にもわからない。
(もちろんこの先生の場合、時代というものが背景にはあったと思うが)

シカゴやアメリカの地図ではなくオデッサの地図を貼り、しかも「パン屋」の印をつける先生。
しっかり根を張り、あるいは<外の人間>であることを意識し、自分に何ができるかを模索し、またできないことを明確に意識しようとするのが、やはり海外在住の望ましき言語教師のようにとらえられる中で、こういう根っこのない感じの先生は、まあ、モデル的な言語教師ではない、と言えるかもしれない。
あくまでこれを読んだ限りにおいて言うと、どう考えても現地の人と積極的に交わっていたとも思えないし、学生に進んで近づいていくタイプでもないような気がする。

でも、どうしてか、学生がこういう教師にとても惹かれるというのもわかる気がする。

教育現場はやはり社会で人を再生産していく役割も担っているので、やはり息苦しさや堅苦しさも強いわけですよ。
この「ロシア文学の先生」の場合はちょっと極端な例としても(くどいようだが時代的背景もあるだろう)、そういう時に、自国の規範や制度からある程度自由な存在としての「外国人教師」に惹かれる、というのはわかるような気がする。

外国人教師としてどこかの国で教える場合、もちろんその国の文化や背景を尊重することは必要だろう。
同僚たちに尊敬の念を抱くことも大切だ。
でも、息苦しい状態にいる成長期の生徒に接する時、どこか「外から来た人の新しさ・自由さ」を感じさせる存在としての魅力はあるんじゃないかなあ…

今度読みたい本、『シカゴ育ち』。
いつ手に入るかな。


おわかれ [日常]

2013年、中国人の知人2人の訃報を聞いた。
30代と40代、どちらも病気だと聞いている。

別々の場所で別々の時期に知り合った2人、私にとってどちらも大切な存在だった。
うち1人と最後に会ったのは、去年の秋。よく一緒に仕事をしていた人。
「次の大きな仕事、絶対いいものにしようね!」と話し合ったのが最後だった。
半年後の3月、その時期が来た時には、彼女はもう一緒にできる状態にはなくて、とても悲しかった。
一緒にやるはずだった仕事、絶対(少なくとも自分にできる限り)成功させよう、と思った。
今思えばまだまだ足りないところも多いけれど、やはりすごく頑張った、と思う。
彼女に見ててほしかったし、一緒にやりたかった。そして、終わった時は達成感と同時にすごく虚しかったのを覚えている。

もう1人については、つい最近聞いた。
亡くなったのは3月のことだと言う。もう9か月も前だ。
全然知らなくて、知らなかったこともショックで、自分がずっと連絡をとっていなかったこともショックで、忘れていたこと、仕事の前に一緒にご飯を食べたこととか、冗談を言って笑ったことを、突然たくさん思い出した。
2年半前、中国に来た時はまだ生きていた人。いつでも会えると思ってつい連絡をとらないでいた。ひどく取り返しのつかないことをしてしまった気がする。

で、今、非常にブルー。

若いのに亡くなった友人は他にも数人いる。
彼ら、彼女ら。確かに同じ空気を吸って、形があって、存在して、声があって、触ろうと思ったら触れられて、一緒に本当につまらないことで笑ったり、憤慨したり、感動したりしていたのに。
彼らはなんだってそんなにさっさと1人でいなくなってしまったんだろうなあ。

書こうかどうしようかと思ったけれど、とても大切な人たちだった。
そのことをしっかりと覚えておきたくて、ここに書いておく。


成都へ [日本語教育]

秋は今年も巡回研修。
同僚とチームを組んで、主に大学の先生方を対象とした集中研修を行ってきました。
どの場所もそれぞれに印象深かったのですが、私にとって最も印象深かったのは、最後に行った成都でした。

四川省の成都は、2005年から2007年まで私が働いた場所です。
四川と広島県が姉妹都市で、その関係でいただいたお仕事でした。
ドイツから帰った直後でしたが、「日本語教育やるならやはり中国か韓国は経験しておきたいなあ」とぼんやり考えていた時だっただけに、とても嬉しかったことを覚えています。

所属は日本語学校。
できたばかりの学校で、とても小さかったけれど「どこにも負けない学校をつくるんだ!」と、中国人の先生も日本人の私たちも一生懸命だった場所。
教師もスタッフも若かったので、泣いたり笑ったり本気でぶつかったり、いろんなことがあった学校。
私自身も日本語教師として初めて「人をまとめる」という立場に立って、ヨロヨロしていたけど充実してたなあ。

中国のような広い国にいて、スキルアップしたくてもなかなかその機会のない先生たちが、勉強したり外の機会とつながったりするきっかけづくりに関われないかな……と考え、思い切って受験。今の仕事を始めたことも思い出しました。
戻ってくるのに6年半かかりましたが、私にとって最後の「巡回研修」の場所として、偶然にも成都を訪れることができました。

成都では、昔手伝ってくれた大学の先生方の参加もありました。
仕事の合間に顔を出してくれた昔の同僚もいました。
日本語学校の先生たちとはあまりゆっくりお話しできなかったけれど、久しぶりにメールや電話で話すこともできて、昔みたいに日本語教育のことをたくさん話して一緒に悩んで、
「こんなに久しぶりに話したのに、私たち、仕事の話ばかりしてる!」
と気が付いて、お互いにびっくりしたり、本当に私はあそこでいい経験をさせてもらっていたんだな、と改めて感じました。

経験も浅くて(今もですが…)、全然たいしたことはできなかったけれど、とにかく一生懸命だった時間。
確かにあそこに私は育ててもらったのです。

今回は出張だったので連絡がとれなかった人のほうが多いけれど、それでも今回行けてよかった。
初めて会った先生方も、印象に残る素敵な方ばかりでした。

またいつか、あの街で皆さんに会えますように。

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