So-net無料ブログ作成
教師研修と、その周辺 ブログトップ

教師研修記録冊子 [教師研修と、その周辺]

職場で、こんな冊子を作りました。 →コチラ

思い出しました。私は教師研修に関わりたくて、この仕事を始めたのです。

私自身ももちろん教師としては、できないこと、ダメなこと、まだまだ勉強しなければならないことがたくさんあるのですが、地方にいて日本語教育の世界に入り、海外でも地方で一教師として仕事をする中で、「学び続ける機会」と「刺激を受けられる人との出会い」に非常に非常に餓えていたという記憶があります。
その中で、教師研修やネットワーキング業務に本当に関わりたくて、(自分の実力不足はさておき)この仕事に飛び込んだのでした。

いきなり教師研修担当になったわけではなくて、以前のハンガリーでは、メインで行っていたのは教材作成と日本語講座運営。
でも、その時の経験も今となっては貴重です。

教育に時間がかかるのと同じで、教師教育も恐ろしく長い時間の中で考えなければいけないものだと感じます。
「この先生大丈夫かな」と感じた人が、後で非常に力を伸ばしていくこともあれば、逆に素晴らしいと感じた先生が教育活動に行き詰まるケースだってもちろんあるはずです。

私たちにできることは本当にわずかですが、教育を考えようとする先生方にとっての源泉のひとつになるような、そして自信を持って先生方が教育を考えたいと言うことができるような、そんな仕事をしていきたいと思っています。



中等教育の先生たち [教師研修と、その周辺]

先日、中等教育(中学・高校)の先生たちを対象とした3泊4日の教師研修が行われました。
こちらの義務教育の出版社と共催です。

中学・高校で教えている先生たちは、やはりみんな子どものことや教育のこと、人を育てることに一生懸命な方が多いなといつも感じます。
時々授業見学をさせていただくけど、都市の優秀な学校は、先生たちも受験にのみ振り回されるのではなく、少人数で「話せること」「使えること」を意識した、豊かな語学教育を工夫しているのをいつも感じます。
総合的なレベルも高く、中1で「あいうえお」から始めて、高校生では日本語能力試験のN1(昔の1級)を受験したり、合格できたりしてしまう・・・。
うーん、すごい、です。

大学受験を意識する学校は、やはり高校の後半は詰め込み重視で大変そうだけれど、その中で
「日本のことや違う文化を考える力を身につけてほしい」
「できるようになった、という気持ちを持ってほしい」
と、日々奮闘されているのを感じます。

自分自身の10代の時をふりかえると、やはり英語大好きだったんですね。

まあ、思春期にありがちな、「身のまわりのことは何となく全てが嫌い(苦笑)」という子どもだったけど、それだけに英語(それから社会科とか)のように、ちょっと違う世界に自分をつなげてくれるようなものに、とにかく興味を持っていたわけです。
中学生から高校生になる過程で、そういう気持ちも薄れたり変わったりはしていったけれど、あの時「ムヤミヤタラと一生懸命英語をやった」という経験は、やっぱり大切な思い出だし、語学学習の基礎力もその時に得られたように思います。

これからも、先生方の元気な顔にたくさん会えますように。


高校生+先生といっしょに [教師研修と、その周辺]

3月の初めに行われた第一回東北三省高校生プロジェクト。
終了しました。ぱちぱちぱち。

昔から日本語学習が盛んな東北三省(吉林・遼寧・黒竜江)。
英語に押されて急激に減っているとはいっても、まだまだ第一外国語として日本語を選択する中学生・高校生のたくさんいる地域。
と同時に、日本人と会う機会が少なくて、まだまだ現実に日本人と会ったり、日本語を使ったりすることが少ない地域。
そこから高校生+引率の先生に来てもらって、週末に2泊3日のプロジェクトワークが行われました。

イベントだけじゃなく、学びも、成長も、そして言語の気づきも生まれてほしいという気持ち。
確かに、言語の上達そのものは、たった3日の活動だけでそう簡単に生まれるものではないでしょう。
でも、「できた!」という気持ち、日本語で誰かに話しかけてみたという気持ちは、きっとあった(はず)。
逆に、「できなくて悔しい」という気持ち、「どうしてダメだったんだろう」という気持ちもあったと思います。それはとっとても大切な経験ですよね。「ダメだったことは次にがんばる」と思って、次に進んでいってくれたら本当に嬉しいな。

で、夕方はばっちり引率の先生たちによる検討会。
そう、実はこれ、教師研修でもあったりするんです^^

詳しいことはいずれ職場のブログ(http://blog.sina.com.cn/tsunagu)にということで個人的な記録を書きますと、まず、何しろこれはこの企画は今年度・初企画。
つまり、私にとって殆どゼロから始まった北京での初めての仕事というわけです。

「高校生を集めて何かやりたいよね」ということは赴任前に決まってはいたけれど、それが東北地方の高校生であり、対象が第一外国語として学習している生徒たちであり、かつ交流会をどうからめるか、そして教師研修をどう組み込むか。
誰もが手さぐりで進めた初めての企画。
そこに一緒に参加できて、一緒にやれたこと。それは、本当に楽しい経験でした。

学生向けのプロジェクトと、教師向けの研修とがひとつになったこの企画。
来年度もできればいいなあ、と思っています。



話すことと書くこととアウトプット [教師研修と、その周辺]

さて、先日「会話の教え方」について話す機会があり、その時からずっと考えていること。

「会話の授業で困っている」という声は聞くけれど、たいていの場合、それは、「知識はあるけど話せない」とか「話す意欲がない」とか、逆に「よく話すけどブロークンすぎる」とか、そういったところから出てきている。
もちろん、そうだと思う。
だけど、同時にふと思う。その学習者は、もうひとつのアウトプット、つまり「書くこと」はできているのか?

で、そういうケースもきっともちろんある。

例えば、内向的な学習者。
そして、会話になった時、聞く力が弱くて流れについていけなくなる学習者。

それから、書く場合は「考えたり逆戻りしながら推敲したり調べながらできる」けど、一方向に流れていかざるをえない「話すこと」の場合、一定のテンポでどんどん言葉をつなげていくことに慣れない学習者には、きっとそれが難しい。
まあ、いろんな要因がある。

だけど、それだけではなく、話すことと書くことがもっと連動させられないかな。
「自分のことを表現できる」とか「自分の意見を表明できる」という点においては、両者は共通の部分があるから。

どうしてそう思ったかというと、研修内容を頭の中でもう一度いじってみたり、特に活動を整理したりしていると、
「これって会話授業だけじゃなく、書く授業でも活動として生きてくるんじゃないかな」
と思うものが、どんどん出てくるので。
そしてまた、
「<話せない>学習者は自分のことを書けるのか、つまり<自分のことを表明できるのか>」
とも思ってしまったので。

うーん、考えてみたい、聞いてみたい、そしていつか実践してみたい。

研修に行くと、新しいタネが自分の中にぽこんとできる気がする。
不思議なのは、「(反省点は多々あっても)今の自分なりにしっかり話せたかな」と思う研修のほうが、そういうタネができること。

タネ、ちゃんと発芽するタネであってほしいんだけど。


巡回研修中 [教師研修と、その周辺]

ただいま、秋の巡回研修の真最中。
地方での講演やイベントの依頼はよくあるのですが、同僚二名とチームを組んで、この広い中国をあちこちぐるぐるまわります。

11月、12月は、桂林を皮切りに、重慶、長春、青島、安徽、そして大連へ。教師研修を中心に、要請があれば学生さん向けのメニューも持ってまわります。

主催校の先生方には本当にお世話になっていますし、周辺から何時間もバスや汽車で駆けつけてくださる他機関の先生もいらっしゃいます。
空いた時間には機関訪問をさせていただいたり、いろいろな先生にインタビューさせてもらったり、休む暇もないほど。

そして思い出したこと。
あー、そうだ、私、こういう場が必要だと思って、そしてこの仕事を始めたんだな、と。

ドイツの田舎で、中国の地方都市で、もっともっといろんな機関の人と知り合って、自分の授業をふりかえったり、いろんなことを考えたりしたいけど、そういう場を得ることの難しさ。
それで、何かそういう場をつくるしかけが作りたいな、と思って、思い切って現場を離れたこと。

はて、私はそういう何かが今提供できているのかというと、まだまだ反省するところは多いのですが、初心に戻りつつやっていきたいと思っています。

もうひとつ、当時よく考えていた悩み。
それは、はるばる電車に乗って1日・2日の教師研修を受けても、受けっぱなしになってしまい、現場の壁の中でどうしたらいいかがわからなかったこと。
もちろんそこを考えていくのは、研修を受けた側の仕事なわけだし、新人の私に考える力がなかったというのも理由なのだけれど、受けた人が何か引き続き考え続けていくるようなきっかけやしかけなど、いつも意識していきたいと思っています。

ハンガリーの中等教育における日本語教育 [教師研修と、その周辺]

さて、引越し前はバタバタで書けなかったハンガリーについての、いくつか思い出し日記。

帰国ちょうど一週間前(!)にハンガリーの職場で教師研修がありました。
テーマは「ハンガリーの中等教育機関における日本語教育」。私は直接の研修担当ではないのですが一枠いただくことができましした。

と今回のメインは、現地機関二校からの実践報告。
「クラブ活動としての日本語」「趣味や異文化理解に力を入れた日本語教育」でした。

一校からは、様々な実践報告を通じての、子どもたち、生徒たちの成長。
おりづるプロジェクト」や「原爆の子の絵本翻訳プロジェクト」、「被爆アオギリプロジェクト」など、核や平和を考える一連の活動。
それから、「ハンガリーの大鍋・ボグラーチで肉じゃがを作ってみよう」という楽しいピクニックの企画や、地元の高校生たちを集めての日本クラブ(クラブになると、プライベートレッスンとはまた違って、人と人が関わる意義が生まれると思います)、そして「日本の日」の企画。
更には、異文化理解を軸とした、一連の講義。
小学校、中等教育、大学、そして地域の日本ファン・言語ファンと、いろんな関係者が関わって何かをつくりあげていく豊かさ。
この機関には何回かお邪魔させていただいたことを懐かしく思い出します。

「おりづるプロジェクト」を通じて、ハンガリーの子どもたちが送ってくれた折り鶴。
あの子たちは、今きっと、地震や津波、そして原発事故のことを考えてくれているはず・・・と思います。(ウクライナの隣にあるハンガリーで、チェルノブイリはやはり他人事ではなかったでしょうし)

もう一校は、ブダペストの中等教育機関。やはり、クラブ活動として日本語を行っている機関において、年に何回か日本の方との交流実践を行っている、その報告でした。
一連の交流実践を単発的な活動に終わらせないようシリーズ化すること。まわりの人をまきこんでいくこと。そのことの大切さを報告から感じました。
更には、学習者と一緒に他の機関の「日本の日」にお邪魔したり、日本語力はまだまだの学習者たちが、スピーチコンテストの「パフォーマンス部門」に参加して歌を披露したりという経験が、「日本語は入門レベルだとしても、そこから得られるものは大きい」という、中等教育にとってとても大切なものにつながってくるのを感じました。
とても丁寧な発表だったので、そこで起こってくる様々な問題や「現実にできること・できないこと」をどう克服していったかという様子もよくわかり、きっと同じような企画を組む人にとって、とても参考になるのではないかなという内容でした。

ともすれば実践報告って、「うちの機関は状況が違う」「そのままでは使えない」と、気持ちを閉ざされてしまうことが多いのですが(本当はそれは研修のシカケ方が悪いんだけど)、こういう風に「現実にはこれはできないけど、その中で別の方法でやってみた」という報告を聞くと励まされますよね。
そこは大切な意識として、どんどん伝わっていけばいいなと思っています。

私自身は、ずっと作成してきたCEFR準拠教材で「異文化理解」をどう扱っているかということついての発表で、これはまたいつか、異文化開発チームによってどこかで報告が行われると思います。
そして、それと関連して、カラー写真満載の教科書が、異文化と考える力・発見する力をどのように養っていくかで、これは実際フィリピンの写真を使って実践してみました。

それにしても、現場っていいですね。
こんな風に自由に関わることができる現場で、日本語力の向上のみではなく、趣味や異文化理解や「人を育てる」仕事を人生の中でもう一度できないものかな。
というのが、新人の時、ドイツで同じような環境で一年試行錯誤した反省のもとに感じることです。

私は機関報告が有機的に組み込まれた研修会ががとても好きです。
横の関係や情報伝達が生まれること、「隣の機関ができたのだから自分たちも」という気持ちに(きっと)つながるからだと思います。

これからますます、ハンガリー、そして中東欧、そして全ての「クラブ活動としての日本語教育」が自信をもって、豊かな活動を広げていってくれますよう。



研修に参加する -「アニメ・マンガのオノマトペ」 [教師研修と、その周辺]

さて、関西に行っていた目的は、「人に会うため」というのがかなり大きなウエイトを占めていたのですが、もうひとつは研修に参加することにありました。
国際交流基金関西センターの「アニメ・マンガのオノマトペ」です。

ふだんの自分の位置は研修運営側で、もっぱら「自分がアレンジしたり、何かを提供したりする」立場。しかも海外にずっといると自分の中にあるものをどんどん放出していくような、まさに放電しっぱなし状態。
せっかくまとまった期間日本にいるのなら少し栄養補給をしたいというか、自分の中に何かを蓄積したいなと思っていました。

それに、「アニメ・マンガの日本語」サイトは以前からちょこちょこいじってはいましたが、開発者の方に直接お話を聞く機会はなく、一度聞いてみたいという気持ちもずっとありました。
自分自身がハンガリーで開発に関わっていただけに、やはり「作成者の視点」の大切さは痛感するところ。(三月にも機会はあったのですが、震災でしたからねえ。。。)

そして受けた研修の時も、2時間の間、「自分がこのサイトを研修で扱ったらどういう切り口にするかなあ」とずっと考えていたのですが、これは完全に職業病です。

ともかく、いろいろと考えるわけです。

オノマトペが試験対策とというよりも、「日本語の世界を豊かにできる」ものという視点であれば、<発見>とか<喜び>とか、そこがきっと外せない部分。
それを無視して、「上達する」とかいう部分を前面に出していくと、多分何かがウソになってしまう。
と同時に、様々なオノマトペの教材が、うまく授業で活用できていないとすれば何故なのか。教材のせいなのか、教師側に原因があるのか。意識のズレなのか、アクティビティの問題なのか、などなど。
頭の中でいろんな教材をつくってみたり、架空のクラスでデモンストレーションをしてみたり、自分の知っている先生たちをイメージしつつプログラムを組み立ててみたり、いろいろ考えながら受けた研修でした。ああ、確かに栄養もらった。

それにしてもすごいなと思うのは、学習者が持つ<力>。
教師側は「このWebをどうクラスで活用できるかわからない」と思ったり、だから研修を受けたりするわけですが、学習者は違うのですね。
彼らはアニメやマンガが純粋に好きでアクセスし、その中で自分でどんどん楽しんでいる可能性が高い・・・ うーん、こういうのってアクセス解析したらいろいろ見えてくるんでしょうね。

さて、そういうわけで。
いろいろ栄養をもらったので、今度は自分がそれをどう自分の中に落としていくかを考えたい。
そしてまた、私がまだ見えていないところや解釈をしまちがえている部分も多々あるはずなので、そこを気をつけていかねばならない。
ということを、考えています。うん、教師研修、やはり楽しみ。




教師研修と、その周辺 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。