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誕生日 [日常]

6月24日、誕生日です。

これからの1年が、いい1年でありますように。

北京での残りの2か月と、日本に帰ってからの新しい日々も、充実したものとなりますように。



お花見 [日常]

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土日も仕事が多い日々。
でも、清明節は三連休となりました。

行ってきたのは、桜で有名な玉泉譚公園。

今年は暖かいのかソメイヨシノは散っていましたが、八重桜・山桜が満開。北国らしくジャスミンも満開で、いい一日でした。

それにしても、人多いなあ。

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北京の春 [日常]

北京にも春が来ました。

3月半ばに「暖気」(集中暖房)が終了。例年、その後はとても寒いのですが、今年は暖かく、気持ちのいい日々が続いています。

haru.JPG

オフィス街も、木の芽や花がいっぱい。

日も長くなってきました。
春、やはりいい季節です。


3月11日のこと [日常]

3年経ちました。

2011年3月11日、「何かおかしい」と思ったのは出勤前、当時住んでいたハンガリーから東京にスカイプで電話をかけようとしていた時でした。(ハンガリーと日本の時差は8時間)

…でも、スカイプ、通じませんでした。

その時は、「おかしいなあ」ぐらいにしか思いませんでした。

普段、私は朝は殆どネットを見ません。
でもその日はそのままスカイプを切って、Yahooのトップページを開いてみました。そこに、「津波警報」が出ていたことを覚えています。

その前から東北では地震が続いていたし、地震の注意報が出たこともあったかもしれません。
でもその時の警報は、それまで見たものと全く違っていました。「巨大な津波」だったか、とにかく今まで見たことのない表現でした。

イヤだなあとは思いましたが、スカイプが通じなかったことと津波が来ることが頭の中でつながらず、そのまま出勤しました。

出勤して、そこで地震のことを知りました。
そこから後のことは、当時の日記にも書いています。

http://juni.blog.so-net.ne.jp/2011-03-23


地震の映像を最初に見たのは、職場の衛星放送を通じてでした。

真っ黒い渦と流されていく家を見てもそれが何か咄嗟にはわからなくて、
「あれ、何」
と言うと、
「波」
と同僚が答えたのをはっきり覚えています。
同僚の言葉を聞いても、それがなかなか信じられませんでした。

渦から抜けられなくなった船の映像もその時見ました。

結局翌日から日本に帰りました。

そもそも11日の朝(日本では午後)、何故スカイプで電話かけたかというと、「一週間以上日本にいるなら、どこかで 髪切りたい
という、かなり切実、かつしょうもない理由からです。

アジア人は髪質が違うので、欧米では本当に苦労するのですよ。。。)

そして、ネットで調べた美容院に電話をかけていたのでした。

こんなこと書くの不謹慎な感じだなあ、と今までずっと思っていました。
だって、あまりに日常すぎて失礼な感じさえするじゃないですか。

でも、今になって思うこと。
あの地震が起こったのは、そういう「ばかばかしいほどの当たり前の日常」の真っ只中、だったんですよね。

ばかばかしくて、ちっぽけで、当たり前で、でも本人にとっては大切で、当たり前にみんなで生きていた時間。

「髪を切ろう」と思ったのもそんな日常の中からの気持ちですが、でもやっぱり、後ろめたさのような気持ちはずっとついてまわるような気がします。


仕事始め [日常]

2014年、春節明け一日目。
中国としては、今年の仕事始めです。

朝、目を覚ますと、

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どんよーり。

あー、PM2.5とともに1年が始まるのね。
春節中は車も少ないはずなのに、どうしてだろう。

と、思ったら、

DSCN0311.JPG

雪でした。

北国北京、実はあまり雪が降りません。
この冬は特に降らないなと思っていたら、やってきました、よりによって仕事始めの日に。

でも、雪が珍しい瀬戸内育ちなので、外が白くなるとテンション上がります。

さくさく歩いて出勤しました。(帰りはつるつる

日本も大雪のようですね。
気をつけて。

どんより以外の北京も、ということで、写真は街で見かけた春節飾りです。
水仙はやはりここでも春の花のようです。

DSCN0315.JPG


同級生 [日常]

そういえば書いていませんでした。2013年、懐かしくもあり楽しくもあったこと、それは同級生たちとの再会です。

高校を卒業してすぐ東京に行き、数年過ごして広島に戻り、その後も海外移動生活が続く中、地元の友人とも大学時代の友人ともだんだん連絡がとだえがちになっていました。
が、2013年、たまたま一時帰国をしている時に中学・高校(一貫でした)の同期会が広島は宮島にて開かれるとのこと。
ドキドキしながら参加した時間は、友人が帰り際に行ったように、本当に「夢のような時間」でした。

その後もSNSのグループを通じてたまに近況を報告しあっていたのですが、なんと何と、このたび同級生の一人が上海にやってくるとのこと。
しかも彼女が引っ越す日は、偶然にも一時帰国中だった私が北京に戻る日と同じなのでした。

わー、彼女が大陸にやってくる! しかも、方向は違えど同じ日の飛行機で!

北京と上海、離れているけれど、でも同じ国に彼女が来る。
それを思うと、あと7か月、大変なことがあっても頑張りたい、頑張れそう、と思えてくるのでした。
そしてまた、この「彼女もいるから頑張ろう」気分は、同業者に関しては抱いたことのない、ちょっと特別な気持ちでした。不思議。(同業者の皆さん、すみません) 多分、お互い子どもだった頃のことを知っているからなんでしょうね。

昔の友達。同級生。
私たちは12歳だったこともあるし、17歳・18歳だったこともある。
彼女は当時から賢くて素敵な女の子だったけれど、でもやっぱりお互い中学生で、高校生で、「大学に入ってから」とか「社会に出てから」「結婚してから」なんて、全然想像できなかったもんね…
それが今大人になって、偶然同じ国にいて、それぞれ大人として生活する。
すごいよねえ(笑)、私たち、あの頃に比べたらやっぱり少しは大人になってるんだよね、きっと。いろんなこと、あったよね。だからきっと、外国でも頑張れるよね。

そんな、とても不思議な気持ちです。

更に、去年は大学の混声合唱団のOB会の案内も来ました。
こちらは行けなかったけれど、何だかすごく懐かしかったです。
時間って、本当に「夢のように」経ってしまうんですね。

すごーく広い世界で、10代から20代初めという特別な時期に、偶然同じ場所に居合わせた人たち。
それぞれの場所で、これからも皆頑張っていけますように。
そしていつかまたどこかで皆に会えますように。
という願いからスタートしたいと思う、2014年です。


今度読もうと思う本 -『シカゴ育ち』 [日常]

ネットで専門書を注文する際、ついでになかなか機会のなかった本を1~2冊頼む。
手元にある須賀敦子さんの『本に読まれて』をもとに、何冊か頼もうかと思っている。
『本に読まれて』自体が古く1998年出版なので、そこに紹介されている物は絶版が多い。でも何冊か手に入りそうな本がある。嬉しい。

佐野英二郎さんの『バスラ―の白い空から』もそうだし、ダイベックの『シカゴ育ち』も同じ。

『シカゴ育ち』に惹かれたのは、須賀さんが引用されていた次の文を読んだから。

「雪の降る晩、ロシア文学の先生をアパートに訪ねていく学生がいる。黒海に面したオデッサ生まれのその先生は、世界を渡り歩いたあげく、いまは、アメリカ大学で教えている。先生の部屋の壁にはオデッサの市街地が鋲でとめてあって、ところどころに赤インクで丸がついている。おいしいパン屋の印さ、と先生はいう。フェアウェル(さよなら)ではなくて、ファーウェルという、シカゴのある区域に住んでいた先生は、一年その大学で教えたあと、またどこかに行ってしまった」

昨今の言語教育の世界から言うと、評価されるタイプの先生ではないかもしれない。
流れていく人。1~2年で消えていく。
先生は最後、「どこか」に行く。どこに行くかは学生にもわからない。
(もちろんこの先生の場合、時代というものが背景にはあったと思うが)

シカゴやアメリカの地図ではなくオデッサの地図を貼り、しかも「パン屋」の印をつける先生。
しっかり根を張り、あるいは<外の人間>であることを意識し、自分に何ができるかを模索し、またできないことを明確に意識しようとするのが、やはり海外在住の望ましき言語教師のようにとらえられる中で、こういう根っこのない感じの先生は、まあ、モデル的な言語教師ではない、と言えるかもしれない。
あくまでこれを読んだ限りにおいて言うと、どう考えても現地の人と積極的に交わっていたとも思えないし、学生に進んで近づいていくタイプでもないような気がする。

でも、どうしてか、学生がこういう教師にとても惹かれるというのもわかる気がする。

教育現場はやはり社会で人を再生産していく役割も担っているので、やはり息苦しさや堅苦しさも強いわけですよ。
この「ロシア文学の先生」の場合はちょっと極端な例としても(くどいようだが時代的背景もあるだろう)、そういう時に、自国の規範や制度からある程度自由な存在としての「外国人教師」に惹かれる、というのはわかるような気がする。

外国人教師としてどこかの国で教える場合、もちろんその国の文化や背景を尊重することは必要だろう。
同僚たちに尊敬の念を抱くことも大切だ。
でも、息苦しい状態にいる成長期の生徒に接する時、どこか「外から来た人の新しさ・自由さ」を感じさせる存在としての魅力はあるんじゃないかなあ…

今度読みたい本、『シカゴ育ち』。
いつ手に入るかな。


おわかれ [日常]

2013年、中国人の知人2人の訃報を聞いた。
30代と40代、どちらも病気だと聞いている。

別々の場所で別々の時期に知り合った2人、私にとってどちらも大切な存在だった。
うち1人と最後に会ったのは、去年の秋。よく一緒に仕事をしていた人。
「次の大きな仕事、絶対いいものにしようね!」と話し合ったのが最後だった。
半年後の3月、その時期が来た時には、彼女はもう一緒にできる状態にはなくて、とても悲しかった。
一緒にやるはずだった仕事、絶対(少なくとも自分にできる限り)成功させよう、と思った。
今思えばまだまだ足りないところも多いけれど、やはりすごく頑張った、と思う。
彼女に見ててほしかったし、一緒にやりたかった。そして、終わった時は達成感と同時にすごく虚しかったのを覚えている。

もう1人については、つい最近聞いた。
亡くなったのは3月のことだと言う。もう9か月も前だ。
全然知らなくて、知らなかったこともショックで、自分がずっと連絡をとっていなかったこともショックで、忘れていたこと、仕事の前に一緒にご飯を食べたこととか、冗談を言って笑ったことを、突然たくさん思い出した。
2年半前、中国に来た時はまだ生きていた人。いつでも会えると思ってつい連絡をとらないでいた。ひどく取り返しのつかないことをしてしまった気がする。

で、今、非常にブルー。

若いのに亡くなった友人は他にも数人いる。
彼ら、彼女ら。確かに同じ空気を吸って、形があって、存在して、声があって、触ろうと思ったら触れられて、一緒に本当につまらないことで笑ったり、憤慨したり、感動したりしていたのに。
彼らはなんだってそんなにさっさと1人でいなくなってしまったんだろうなあ。

書こうかどうしようかと思ったけれど、とても大切な人たちだった。
そのことをしっかりと覚えておきたくて、ここに書いておく。


たおれた [日常]

7月20日頃からの一か月、非常に忙しかった。
ちょっとこれはまずいでしょ(汗)という状態の働き方。やっと先日終わった。

お~久しぶりの休みだよ。しかも、土日連続で休んでいいんだよ~。
と、うかれて出かけた、その帰りのこと。

地下鉄に乗る。
すると…おかしい。
いつも気にならないはずの人の匂いとか、声とか、周りの雰囲気が妙に気に障る。
なんか頭痛してきたよ、どうしたんだろう。
と思っていたら、猛烈に気持ちが悪くなった。
脂汗が出てきて、息が苦しい。あれ、動悸も。
座り込んだ。

周囲の人に声をかけられた。
空いている席を探してくれて、腰かけることができた。
降りる駅を言うと、「あと何駅だから」と教えてくれた。
座っているうちに少し楽になってきて、何とか帰り着いた。

北京に来て、街に出て、荷物のある人とか、赤ちゃんを抱えた女の人とか、ベビーカーとか、お年寄りとか、変な路地にはまり込んで出られなくなった車とか、それらに対していつも誰かがさっと手を差し伸べ、そして何事もなかったようにすぐに立ち去るのを見て、いいなあ、と思っていた。
今日、私は「誰か」に北京でたすけてもらった。北京にたくさんいる、見知らぬ人にさっと手を差し伸べて、すっといなくなる「誰か」。

どれだけ大都会になっても、これからも、そういうよさを保ち続けた街でありますように。


今日の北京 [日常]

北京、今日の写真です。

こんなに空気がきれいなのは久しぶり。

部屋の空気を入れ替えました。


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